私である。
私が私を紹介してどうする!と思うが(/ω\)他にいないので仕方ない。
ボーカル、作詞・作曲、MC、プロデュース、広報、グラフィックなどを担当している。
CDジャケットデザインなどもずっと行って来た(イラストは熊倉画伯に発注)。
バンド活動で幸せを感じるのはライブで良い演奏が出来、上手く歌えた時である。お客様の笑顔を見るのも嬉しい。またMCでウケたりするのも楽しい。
しかし私が最も幸福感に包まれるのは、レコーディングしてミックスダウンが終わり音源が完成し、ジャケットを作ってCDが出来上がった時である。新作CDを手に(今年もやったなー)と感慨に耽る瞬間が一番好きだ。
やっぱ作ることに喜びを感じるのだ。生まれつきのクリエーター気質、職人気質なのであろう。
私がロックバンドのボーカルを始めたのは1987年である。30年も前の話で、私はその時既に30歳を迎えていた。
だいたいバンドなんていうのは、若い頃やっていて歳が行ったら止めるものである(=_=)
30過ぎにスタートさせるのは結構珍しいかも知れない。
しかし20代はコンポーザーとして作詞・作曲をずっとやっていた。コンテストに明け暮れた時代だ。その頃の経験が今のバンドにつながったことは言うまでもない。
その辺の経緯は非常に長くなるし、そんなに興味のある人もいないと思うので(^^;)古~いHPのリンクだけ貼っておく。時間がある方はご覧いただきたい。昔からどれくらいバカだったのか(/ω\)が一目瞭然である。
↓(旧HP)
累計でドラムが5人、ベースが4人、キーボードが2人、SAXが1人だったので、私とGの小西を入れて14人が在籍していたことになる。よくもまぁ社内だけでこんなに集められたものである(^^;)
しかもオリジナルしかやらないバンドなのだ。
ここ10年近くは毎年ライブとレコーディングを続け、更に近年はミュージックビデオを続々とリリースしている。
中島ぴあーの作曲の楽曲が増え、バンドのカラーも随分変わって来た。
ライブではかなり頑張ってはいるつもりだが、寄る年波には勝てずジャンプしても飛べなくなって来た(=_=)
この写真は、かつてコンポーザー時代に一緒にやっていた盟友チャーリー伊藤が撮ってくれたのだが、相当下からめちゃめちゃ上手く撮ってるので飛んでいるように見えるが、必死の思いで飛んでるわりに全然高さが出ない(/ω\)
今春のライブでのアンケートで「キャプテンのジャンプは何か痛々しいのでもう止めた方がいい」という意見があった((+_+))
な、なにぃぃぃぃ?!と怒り(-"-)、よーし、見とけよ。まだまだこれからじゃい!わしは雄々しくジャンプして、次のライブで見返してやっかんな、と思い、近くの公園で欽ちゃんジャンプの練習を始めたが、息は上がり筋肉は強張り、しまいに頭がクラクラして来たので早々に諦めた。三日坊主にすらならない見事な諦め方であった。人間は諦めが肝心なのだ(^^;)
しかし今年は本当に解散のピンチだった。これはもうダメだと諦めかけた。ジャンプは早々に諦めたがバンド存続については粘りに粘った。すると幸運の女神が微笑んだ。
奇跡的にドラムスのガガーリン鈴木が発掘され、ライブの目途が立ったのである\(^o^)/
12月に入ると喪中の挨拶はがきが来る。今年も大切な人を何人か失った。その中には毎年ライブに来てくれていた大好きだった先輩もいる。私はその人の為に歌わなくてはならないと強く思っていた。その想いが天に通じたのか・・・。
何だかメンバー紹介にならなかったな(-_-)
仕方ない。私の個人的な情報でも載せておくか・・・。
身長178cm、体重73kg、魚座のO型、足のサイズは26.5cm、帽子のサイズは63cmである。特にこの帽子🎩のサイズは異常値だ。女性のウェストよりデカいのだ。うーむ、どうでもいい情報だった・・・(*_*;
さて、そういうわけで1月にレコーディング、3月にはライブ、
いつものバンド繁忙期である。
最近強く思うのだが、結局仕事もバンドも一人では何も出来ない。メンバーや仲間がいて何とかギリギリやれるのである。
メンバーに加え、ゲストメンバーの皆さんや、映像スタッフ、イラストレーターなどの皆さんのおかげで、何とか毎年綱渡りのような活動が続けられるのだ。
近年ストリングスメンバーをゲストに迎えている。バイオリン、ビオラ、チェロのトリオである。
チェロの島田光さん始め、我々のようなガサツを絵に描いたようなバンドに本当に勿体ないすごいメンバーだ。
更にこのストリングスアレンジをしていただいている佐藤眞理先生にも、本当にお世話になっている。この3年は毎年素晴らしいアレンジを完成していただき、我々の歌がプロも唸るような素敵な楽曲に変貌を遂げているのである。
実は今回も一曲お願いしていて、お忙しい中本当にクオリティの高い緻密で美しい作品を作っていただいた。
私はクラシックではパッヘルベルのカノンが最も好きな楽曲である。秋の空を見上げながら、ジョージ・ウィンストンのピアノで聞いていると泣きたくなる。心の琴線に触れ、魂が揺さぶられる。
今回の新曲で「僕がいるよ」という楽曲がある。不遜にも、この曲をカノン風にアレンジを、というリクエストを佐藤眞理先生にしたところ、何と本当に心洗われるような素晴らしい曲となって帰って来たのである。
この曲をライブで出来れば嬉しいのだが、未だストリングスメンバーのスケジュール調整中であり確定はしていない。でも何とかしたいなぁ・・・。
レコーディングは既に決まっているので、皆さんにいずれお聞かせ出来ると思う。
この曲の詞を記載しておく。私が書いた中では、一番好きな詞だ。きっと皆さんの胸に届くと信じている。
それでは、ライブでお目にかかりましょう!
「僕がいるよ」
君はこの世界の優しさを
全部溜めたみたいに幸せそうに眠って
世界の不幸を全部心配してるみたいに
何だかとても不安そうに目を覚ます
そんな君の幸福と不幸を
見ているだけの頼りない僕だけど
いつも君のそばに
僕がいるよ君が目覚めた時
嵐の夜更けも光の朝にも
僕がいるよ他に何もあげられないけど
君が目を開けた時最初に見つけるのはいつも僕
世界は何だかずいぶん混沌として来て
たくさんの人たちが怒ったり叫んだり
耳を塞いでることは悪いことかな
ただ君の声だけが聞こえたらいいのに
僕はとっても弱虫なのかな
強くならなくちゃ生きられないのか
だけど君のそばに
僕がいるよ君が目覚めた時
悲しい夜更けも希望の朝にも
僕がいるよ必ず笑ってるから
君が目を開けた時いつも見えるのは僕の笑顔
僕がいるよ君が目覚めた時
真っ暗な夜更けも輝く朝にも
僕がいるよ必ず僕がいるから
君が目を開けた時君の眼に映るのは僕だけさ
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