中島ぴあーの。51歳。ベース担当。
天才である。
作曲家としての能力を発揮し、近年は本当に素晴らしい名曲を量産している。
A ray for tomorrow~明日への光~
DA・I・JO・BU
君に贈る言葉
おやすみさない
他にもたくさんあるが、どの曲もライブで人気だ。これらの中島の曲の特徴は非常に歌いにくいことである(-_-)音階の上下が激しく、やたらコードが難しい。#や♭を多用する。ボーカル泣かせである(+o+)
それでも中島ぴあーのの曲は本当に素晴らしい。心を揺さぶられる。魂が震える。
中島が作曲するようになってバンドのカラーが変わった。それまでは極端にラブソングの少ないバンドだった。ほとんどがコミカルなサラリーマンソングばかりだったのだ。しかし彼の曲はラブソングそのものの曲調だ。私も愛の詞を書くしかなかった。
私は彼の作った曲が来ると何故か良い詞が浮かぶ。私じゃない誰かが書かせているような、そんな感じでどんどん言葉が溢れて来るのだ。作品創出においては、中島ぴあーのは私にとって最高のツレである。
ある時、曲を送った、とメールが来た。しかしスマホにもPCにもデータが来ない。おかしいなぁと思っていたら、マイクロレコーダー本体がドン!と郵送されて来た。今どきそんな(*_*;
そうなのだ。中島はITは苦手なのだ(^^;)
中島は1991年くらいにキーボードで在籍していた。めっちゃ上手かったのだが、転勤となり脱退となった。その後バンドはほぼ全員が全国に散り散りとなり休止状態となったのだが、2003年くらいに私が大阪に転勤した際、ギターの小西コニオも大阪におり、中島は奈良にいた。
中島が私がいた大阪のオフィスに来て話していた時に、ほんの軽い気持ちで「ベースとドラムいないかなぁ」と言ったら、「ベースくらいなら私出来ますよ」と言うではないか。
ふーむと思い、中島が帰った直後にたまたま前の席にいた伊藤ちゃんという後輩に、完全に冗談で「伊藤ちゃんドラムやってたんだって?」と言ったら、何と「え?!何で知ってるんですか?」と驚くではないか。そうなのだ。伊藤ちゃんは学生時代ロックバンドでドラムを叩いていたのだ。これにはこちらがびっくりした((+_+))
そしてここから2年間の地獄の大阪「SPORTSMEN」時代が幕を開けたのである。中島の不用意な一言でこのような驚くべき展開になるのだから人生は不思議だ。
SPORTSMENは全員スポーツのカッコをしていた。
<サッカーのカッコをした中島ぴあーの>
かなりバカだけど中島はマシな方だ。ほらね・・・(*_*;
ライブも何回かやったなぁ。
伊藤ちゃんなんてライブで海パン一丁だもんね。
いやー、ホントにめちゃくちゃである。すべては私がいけないのだが(^^;)
最近はミュージックビデオで演技に目覚め、三木監督を驚嘆させている。
「日本全国お前がやってみろ音頭」より
近々リリース予定の新作では、クリリン小栗とのコンビで演技の新境地を切り拓いている。
「ドリンキングマーチ」より
しかし中島の本職はピアニストである。ベースがいないので仕方なくやらされてるうちにもう10年も経ってしまった。
東京でバンドを再開する際には、ボンド大木がいたので中島はキーボードに戻ることが出来なかった。
しかし元々は天才的ピアニストなので、それを忘れないように中島ぴあーのと呼んでいる。
中島ぴあーのはベーシストとしても大変成長した。
今回のライブでもタイトでカッコイイベースワークと同時に、彼が作った中島ワールドの名曲の数々も是非ご堪能いただきたい。
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